MUSEUM TALK

著名人からの視点で語る、
「金融」への思いと明日への刺激。

Museum Talk 004 杉山恒太郎(クリエイティブディレクター)×米良はるか(READYFOR代表取締役)

インターネットを利用して不特定多数の人から小口の支援金を集め個人の夢や目的を実現するサービス、クラウドファンディングが市民権を得てきています。
その日本における先駆けであり、日本最大のクラウドファンディング
「READYFOR」を率いる、米良はるか氏が今回のゲスト。
クラウドファンディングのなかで生み出され、取り引きされる価値や信用とは何か。
そのサービスは、いまどのような進化を遂げているのか。
金融とコミュニケーションの融合ともいえるクラウドファンディングに、杉山恒太郎氏、興味津々の対談です。

日本でも、個人の幸せの価値が、いい意味でワガママに
大きな変化をはじめている。(杉山)

杉山 米良さんがやっているクラウドファンディングの現状は?

米良 世界市場で2014年のファンド量が1.6兆円ぐらいなんですけど、その前の年、2013年が5,000億円程度でした。

杉山 じゃあ、倍々の成長だ。

米良 アメリカでは、ある程度成長しきった感がありますが、アジアが少しずつ広がってきている感じですね。

杉山 いわゆる寄付の文化というか習慣が日本ではあまり根づいていないので、難しいでしょう。税制とかの問題もあるのかな。

米良 私は税制の話は、実はそんなに影響はしていないんじゃないかなと思っています。日本も寄付によって控除ができる率はアメリカと比べてそんなに遅れているわけではない。やはり日本の社会が、本当の大金持ちをあまり作っていないということですね。例えばアメリカは、本当に一代で億万長者になった人たちっていうのが圧倒的に多い。その人たちが、莫大な資産をどこに投じるかっていうとき、やっぱり世の中がよくなっていくために公に寄付というカタチで出すんです。ビル・ゲイツが有名ですが、Facebookを作ったマーク・ザッカーバーグも、先日お子さんが生まれて、子どもの未来をこれから作っていくために、自分の資産の99%を寄付するというニュースがありました。そこは美しい文化といえるかもしれませんね。

杉山 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:仏)っていう文化がありますね。社会的な地位の高い人は責任がともなう。持てる者にとっての義務っていうのかな。

米良 そうですね。そこが結構あるなと思います。日本にもインターネット業界とかに資産家がいると思うんですけど、お金持ちがお金を出しているっていうことが、素晴らしいということにならないというか・・・。

杉山 かっこつけるなよ、みたいなね。

米良 多分、普通にそれがかっこいいよね、となれば、みんな寄付としてお金を出すようになっていくと思うんです。お金持ちじゃなくともそうです。

杉山 米良さんたちの世代から随分変わってきたと思うけど。

米良 すごく変わってきています。私たちの世代って、もっと自分の、それこそ幸せの価値の部分が、変わってきているのかなと。今、私は28歳なんですけど、その28年間、日本って別に経済的に発展しているわけじゃないし、申し訳ないけれど、発展する要素もあまり感じられない。みんながみんな同じ状況ではないと思うけれども、じゃあ例えば自分の資産を100倍にしたら幸せだと感じるかっていうと、あんまりみんなそういうふうに思っていないだろうなと・・・。

お金を手に入れるっていうことが、人の幸せっていうのを、倍々にしていくのではないとしたら、経済的には成長した世界で暮らしている私たちが、幸せでいるって何なんだろう、と思ったときに、もっと日本だけじゃなくていろんな場所の幸せを感じていない人に対して、自分たちができる価値を提供して、1人でも多くの人たちが人生を豊かに生きることに貢献する。そっちのほうが楽しいんじゃないか。うん、結構それだけだなと。これは私だけじゃなくて、多分多くの、同じぐらいの世代の人がそうなんじゃないかなと思っています。

杉山 素晴らしい、そんなこと言われると言葉が出ない(笑)。

米良 (笑)いろいろなメディアが、若者はボランティアで社会貢献を志すと書いていますが、何かそこはすごいピントが合っていない気がしていて・・・。

杉山 合ってないよね。

米良 社会貢献じゃないんですよ。もっと自分が楽しいかどうかという、実は結構ワガママな指標というか。

杉山 ある意味、ワガママなんだよ。日本で最初に多くのボランティアと名乗る人たちが現れたのが、長野で開催された冬季オリンピックと言われているんだけど、ボランティアで参加したいという人がそれこそ、うわーって来たらしい。でも、運営側は、それらの人を統制しようとしたわけね。そういうことされるのが嫌いな人が集まっているという意味が分からなくて。自分を捨ててもオリンピック成功のためには、滅私奉公の人が来たわけじゃなくてやりたいから来た。そこにものすごく考え方のかい離があった。管理されるほうはびっくりするし、受け入れるほうは、何だ、言うことをきかないんだなって・・・聞くわけないよね。

米良 そう、奉仕じゃないんですよね。楽しくて、そこでみんなで集まったりとか、何かに対して、みんなでクリエイトしていくという過程が楽しかったりして来ている。

杉山 でもやっぱりボランティアというものの意味を、滅私奉公と勘違いしちゃった、最初、国のほうはね。

米良 いま、私たちの世代で起業して新しいことをやっていこうという人がすごく増えていますけど、彼らは、やっぱり一人で早くお金を手に入れようとしてやっているわけじゃないです。自分が幸せかどうかなって思ったときに、まあ別に、給料は増えていけばうれしいけど、何かそれよりも、もっとこの時代に、新しいテクノロジーができて、それこそ世界のさまざまな人とつながれるような世の中になったことにレバレッジをかけて、面白いことをやっていきたいなっていう考えが多いと思います。

杉山 レバレッジの場所が違うんだよね。

組織ではなく、個人のつながりを信用として担保する。
あたらしいお金の流れのひとつがここにある。(杉山)

杉山 クラウドファンディングという、日本にまだ馴染みのないものをはじめたのが、ちょうど震災の時期だったとか。やはり震災がきっかけですか?

米良 それが、全然違うんですよね。

杉山 たまたま?。

米良 はい、会社がスタートしたのは2011年の3月29日なんですが、準備はそのずっと前からですし。発足時は、震災関連のプロジェクトは1個もありませんでした。ただ、やっぱりあのときに震災で起こったことのなかで、例えばTwitterやFacebookで個人の安否確認ができたりするのを知ると、ああ本当にインターネットのテクノロジーって、もう人々の生命にかかわるようなところで役立っているんだと興奮しましたね。でも、一方で、お金の流れって変わっていないなとも思った。東日本大震災では、阪神淡路と比べて、インターネットによる寄付は増えたんですが、どこにお金が流れたのかというと、名の通った大きな組織です。こうした大きな組織は、集められた何々億円は、こんなところに渡されました、という報告をしますが、残念ながら、ひとりひとりが渡したお金、思いがあるお金が、実際にどのように使われたのかがわからないわけです。当時、そのことに対する不満を持つ人は沢山いたと思います。

杉山 そう、もうちょっと人間のぬくもりっていうか、実感が欲しいものね。

米良 やっぱりせっかく稼いで貯めたお金を、現場で頑張っている方とか、現場で苦しんでいる方に出したいと思っているのに、返ってくるものが・・・・。

A:いくら集まりましたではね。

米良 何かちょっと違うと。Twitterで安否確認できたように、個人のところにちゃんと情報やお金を届けることが必要なんじゃないかと、そのときには強く思っていました。とはいえ、震災後の当初は情報が混乱していたので、私たちがプロジェクトを進めてお金を渡したとしても、渡された人もどうやってお金を使えばいいのかが分からなかったりすると思い、一旦は触らないようにしようとしていました。

でも、震災後の5月ぐらいに、宮城大学の学生さんたちが私たちのオフィスにわざわざ来てくださったんです。そこで、本当に、現場で必要なものに対してお金が集まるような仕組みを欲しいといわれた。
その仕組みこそが、いま我々が本当に必要なものだと言われたときに、まさに、本当に必要な人たちが、本当に集めたお金をうまく使ってくれる人が、しっかりと手を挙げてくださった、と思いました。

それこそFacebookとかTwitterでも、個人が顔をだして、レファレンスみたいなものもあって、ちゃんとインターネットの中でも本人認証みたいなものが機能する。今までは組織しか信用って担保できなかったものが、実は個人レベルの人のつながりこそ信頼として担保できるようになっているから可能になる仕組みができるんです。

杉山 まさに今だね。

米良 本当に、今でしか可能にならなかったことだと感じて、じゃあ震災関係にもやっていこうと。
そこから、プロジェクトがどんどん出てくるようになってきました。でも、私たちのファンドは、そんな震災のプロジェクトもあれば、ママがお片づけのためのCDを作りたいとか、個人的に小さな夢を叶えるようなプロジェクトもあったりします(笑)。

杉山 今、何件、案件は。

米良 今まで累計で3,500件ぐらいあって、毎月200件ずつぐらい出るので、大体300件から400件ぐらいが、いつもお金を集めているような状態ですね。

杉山 何人ぐらいでやっているんですか。

米良 40人です。

杉山 立派な人数だね。運営っていうか機能させるために何が大変ですか。もちろんお金を集めるのも大変なのだろうけど。

米良 やっぱり、まだ日本は組織の社会。今まで組織の世界だった日本が、すぐに、個人が何でもできるよっていう状況になったからといって、すぐに移行するわけじゃない。会社の事業としてお金を集めるとかはあっても、個人として何かをやりたいと思い、それを実現することは、日本はまだすごく弱いと思っています。それこそ、Twitterが最初に日本へ入ってきたときは個人で活動している人たちが自分で発信するツールだったけれど、日本での普及の仕方はLINE的というか、友達との会話やコミュニティへのツールとして普及したように。個人が何かするっていう活動が、まだまだ日本は、出る杭は打たれるじゃないですけど、何となく空気を読みながらですから。

でも、少しずつ組織から離れて個人がいろんなチャレンジを起こしていくような土台が、本当にまさにこの数年でできた。これから非常に個人的なこういう世界でありたいなとか、こういうことやりたいなっていうチャレンジが出てくると思っています。

あとは、クラウドファンディングでお金を集めるということが、インターネットに慣れていない方には、ちょっと難しく感じるようです。でも私は、古くからある神社とか、お寺とかとちょっと似ていると気づきました。神社の式年遷宮などは、町の人たちから何十年に1回お金を集めて建て直しますね。ああいうふうに、みんなで守りたいものであったり、みんなで享受したいものに対してお金を出し合って何かが生まれるものは、クラウドファンディングと同じようなものだと思うんです。それが、もっともっと個人的になっていっているのがクラウドファンディング。

杉山 近所のお寺や神社とかに夕暮れに行くと、どこも小さなぼんぼりみたいなものが並んでいて、そこには八百屋さんだの肉屋さんだの、みんな町の個人商店の名前ある。今は個人の名前はなかなかないけど、昔は個人の名前も結構あったんだよ。

米良 そうですよね。そう考えると、実はクラウドファンディングのようなものを日本でも以前からやっていた。それが、その地域だけに留まることをインターネットだったらもっと広くなるよね、と。あるいは、神社でしかできなかったことが、もっと個人的な思いや夢でもできるようになるよね、ということだと考えればいいと表います。

杉山 凄く身近に思えてきたな(笑)

多様な利用法が広がっている
今日のクラウドファンディング(米良)

杉山 例えばネット上の寄付だとして、ファンドに参加した幸せっていうのはもちろんあるけど、それはすごく精神的なもの。やってらっしゃる何千のプロジェクトそれぞれに、例えば、よく寄付をした人に与えられる何か特別会員のような、わかりやすいリターンは、あるの?

米良 結構ものによって全然違っていますが、ありますよ。ベンチャー企業の話で一つ事例を挙げると、尿や、排便のタイミング予知するデバイスを作りたいっていうスタートアップの人たちがいました。そのプロジェクトを企画した人が、まだ30代の方なのですが、海外でお腹を壊して漏らしてしまったことがあったらしいんです。そのとき、すごく恥ずかしくて、漏らすってこんなに辛いことなんだと気づいたそうです。高齢者とか障害を抱えていらっしゃる方は、すごく苦しんでいるんじゃないか。外で漏らしちゃったりしたら怖いからと家から出られないことがあるかもしれない。
だったら排泄の前に、あと○分ででますよというふうに検知して家族に知らせ、トイレ行かせてあげるだけで、実はその精神的負担が減らせられると思いつたらしくて。そのデバイスを作るための費用集めということで、READYFORでお金を集めました。1,300万円ほど集まったんですけど、このリターンは、集めた資金で完成した排便予知のデバイス、DFree。

杉山 それ、配られたの。

米良 はい。
本当にニーズを感じている方々がお金を出してくださった印象です。でも、まだ売り出していない商品で、使ったことがあるわけじゃないので支援者の方々は本当に役立つかはわからないじゃないですか。だから支援者の方々からのユーザーフィードバックをもらいながら、いい商品にしていくということを兼ねて資金を集めていました。

杉山 いわばテストマーケティングだものね。

米良 そうです。テストマーケティングみたいなことができると、お金を集める人たちもいるわけです。ほかにもリターンを工夫した例だと、沖縄におもちゃ美術館という施設があるんですけど、そこが、新しく美術館を作るときに780万円ちかくのお金を集めました。美術館なのでリターンとしては、美術館のチケットとかがあるんですけど、国頭村という那覇から車で3時間とかかかる場所で。チケットをもらっても来てくれないだろうと。それで、何か行きたくなる理由を作りたいなと思ったんですよ。国頭村はヤンバルクイナがすごく有名なんですが、寄付者を一口館長という名前にしたうえで、積み木のヤンバルクイナを木板から掘り出し、掘りだした木枠のほうに寄付をした人の名前を入れて美術館に置いておいて、ヤンバルクイナ型の積み木だけを「ヤンバルクイナを嵌めに来てください。あなたの名前が入って待っています」というメッセージと共に郵送しました。

杉山 上手だね。

米良 やっぱり積み木が来たら何となく、行かないとかわいそうだと思ってもらえたのかな。積み木を嵌めに行きたいなって思ってもらえたようです。これも、つながりを体験させるっていうことです。1万円だったんですけど、ヤンバルクイナの積み木に1万円の対価性なんてあまりないじゃないですか。市場に置いたら1万円という価格は難しいと思うけれど、おもちゃ美術館にいつか行こうという気持ちが1万円の価値になり、多くの人が家族に、大切な人へのプレゼントに、というふうにこのリターン購入してくれました。

杉山 支えられるよね。

米良 それをどういうふうに一つ一つのプロジェクトのリターンとして設計するかっていうのを、ずっとやっています。

杉山 素晴らしい。アメリカは特に、中学や高校生でもファンドやるでしょ。クラウドファンディングはもちろんやっていますよね。早いうちからのそうした体験は凄く役に立つと思うんだけど、日本の現状って今どう。

米良 結構多いですよ、実は。中学生とか高校生の場合は、社会人の方や学校の先生とかに保証人になっていただかないと始められないんですけど、協力してくださる周囲の方も多くなっています。個人のチャレンジが面白いよね、とか、何か仕掛けていくのって楽しいよね、という体験は、やっぱり若いときにやっているべきです。フレームワークの中で仕事をするようなことになってしまうとなかなか出来ないし、生まれにくいと思うんです。中高のときにそういう経験をしているっていうのはすごく大事だと思いますね。具体的な例では、千葉県の銚子電鉄を修復するためのプロジェクトがあります。銚子商業高校の地域活性化の授業で、学生たちが、銚子電鉄を尋ねたとき、脱線事故で壊れてしまった車両があると聞いたそうです。でも自分たちは車両を直すことができない、お金があれば車両を修復してもう一度銚子電鉄をよみがえらせることができる、ということでクラウドファンディングを活用して400万円を集めました。

杉山 話題にもなったね。それに、あれがきっかけですごく楽しい地域電鉄になった。

米良 はい。

杉山 クラウドファンディングって雲の上の貯金箱みたいなものだね。

米良 そうですね。はい。

杉山 米良さんたちの仕事は、いわばマッチングサービス。だから企業のCSR、今はマイケル・ポーターがCSV(Creating Shared Value)と言っているけど。本当はあなたたちと銀行と組むマッチングサービスもいいよね。

米良 実は地銀さんとかは結構業務提携していて。

杉山 そうだろうね。いいパートナーシップになるだろうな。

米良 いま地方の問題って新しい事業が生まれていかないことと、若い人たちが少ないこと。やっぱり融資って、ある程度企業として実績がないと、なかなか出してもらえないものです。とはいえ、実績のある経営者は、地銀さんが融資を勧めても、高齢でそんな長い融資を受けたくない。結構新しいこと生み出しにくい状況もあります。でも、クラウドファンディングの場合は、人の思いでお金を集めるし、返済は要らない。だから、アイデアを市場に出してみようという人が集まるし、チャレンジを促進させていく効果があります。その中で、もし世の中に認められるとか、面白いと思われるものがあったら、地銀さんとしてもバンとお金を出して、事業を加速させられる。その手前の部分を補わせていただけたらいいなと思っています。

杉山 お話を聞いていて本当に思ったんだけど、僕のところは一応、日本のデザインの聖地って言われている会社です。だから、このデザインファームと、今度、一緒に組んで何かやろうよ。

米良 今、まさに広義でのデザイン力が本当に必要だと思っているんです。私たちには、また世の中をデザインする力がすごく欠けているなと。ぜひ、何かやりたいですね。

杉山 いやあ、楽しかった。付いていくのがやっとだったけど(笑)。今日は本当に、有り難うございました。

杉山 恒太郎

株式会社ライトパブリシティ 代表取締役執行役員社長。大阪芸術大学 客員教授

1999年より電通においてデジタル領域のリーダーをつとめ、インタラクティブ広告の確立に寄与。トラディショナル広告とインタラクティブ広告の両方を熟知した、数少ないエグゼクティブクリエーティブディレクター。

米良はるか(めら はるか)

1987年生まれ。READYFOR 株式会社 代表取締役 2010年慶應義塾大学経済学部卒業。
2012年同大学院メディアデザイン研究科卒業。スタンフォード大学への留学後、2011年3月日本初のクラウドファンディングサービスREADYFORを立ち上げる。2012年 World Economic Forum Global Shaper2011に選出され、日本人史上最年少でダボス会議に参加する。